以前、「幼い頃、読み聞かせしたんですけど、うちの子は本を読まないんです。
どうしてでしょう?」
という質問を少なからずのお母様から受けました。
「読み聞かせ」
それは、とても好ましいことで有意義だと思います。
ただし、それで我が子が「本好きな子供」になると思うことは早計かもしれません。
その確率は半々だと思われた方が無難でしょう。
読み聞かせは、ご承知の通りTVや映画と同じく、「与えられる情報」です。
「自ら得ようとした情報」ではありません。
ですから、読み聞かせだけで育った子供は「今日も読んで!」と読んでもらうことを要求してくるでしょう。
本を読む行為は、自ら情報を得ようとする能動的欲求から起こります。
「読む」という労働と、未知の言葉、思考への挑戦する心がなければ出来ないことです。
与えられてばかりいると、そういう労働への意欲が減退します。
何故本を読まないか。理由はいろいろありますが、一番多い理由は「読む」という行為に対する「難儀感」です。
読書嫌いは、その訓練を怠ってきた結果です。
その訓練には継続という試練があります。
まだ字が読めない時代は、読み聞かせをしてあげ、字が読めるようになったら、一緒に音読することをお勧めします。
音読という労働に対する「難儀感」を消失させて、情報を得る楽しみが「読む労働」を凌駕(りょうが)したとき、読書好きな子供が誕生するでしょう。
字が読めるようになってから、難儀の壁を破るまでは親の責任だと思ってご努力下さい。
中には、うちの子は物語は嫌いで実録ものは読む、
というように内容によって読む・読まないというがあるという話も少なからず聞きますが、
ではその子がどれほどの実録ものをよんでいるかを調べると、1年に1~2冊くらいしか読んでいないのが実態でした。
本のカテゴリーによって「好き・嫌い」があるというより、たまたま興味のあることに出会ったから読んでみた、
という程度で、読書が好きというわけではないようです。
繰り返しますが、好きになれない本当の壁は、新しい言葉、思考、感情の把握に要する労働への忌避感です。
その原因の殆どが、字が読めるようになってからの、音読訓練の多寡によることは間違いないでしょう。
(過去ブログより編集抜粋)
